一、この世の中に無用で無能な人間は一人も居ない。一人一人が皆、社会にとって必要な人間である。人は皆、一つは長所を持って生まれて来ている。
一、「川の流れ」と「人の流れ」
川の石は、川の流れに流されて、角が取れて丸くなります。
人は、社会の人の流れに流されて、己がという我が取れて丸くなります。
人の流れに流されても丸くなれない人は、我が強すぎるのと、修養が足らない為です。
一、自分の生涯で接する、あらゆる縁が自分を育ててくれるのです。
一、 人間は輪廻をくり返してこの世で修行しています。人間は過去世、現世、未来世の3世を、生き死にをくり返してぐるぐる回っています。人生は自分を磨く為にあり、人格を向上させる為にあります。
一、「命は有限」
「魂は無限」
命は有限…生命ある間に、自分はどう生きたか、人生よりいろいろと学んで悟り、どれだけ自分を磨いたか、人格を高めたか、自分の家庭や人間社会にどれだけ役に立ったか、これらが原因となり、結果として死後に行く先が決まる。お金や物、地位、権力、これらは一切持って行けない。持って行けるのは、生前、身につけた徳であり人格である。
魂は無限…死んで肉体は滅んでも、魂は肉体から離れて霊界で無限に生きる。
一、徳を積む。
善行を積み重ねる事により身につくものを徳という。
自分の目の前の責任と役割を立派に果たす。
奉仕の精神で善行を積む。社会の一隅を照らす。
結果として自分の人生が徳の分量だけ良くなります。
結果として自分の器が徳の分量だけ大きくなります。
一、貯金と天貯
天貯とは、天への貯金です。
天への貯金とは、善行を積み重ねることにより、徳を積むことです。
奉仕の精神は尊いです。お金や物が全てであるという物欲の考え方を改めましょう。
一、 子供は、恵まれた環境の中で育つより、
逆境の中で育つ方のが、ものになる、大成する。
一、宇宙仏(ビルシャナ仏)が創造されました、この広大な
宇宙の中の、1つの星であります地球の絶妙な
「大自然のバランス」が、「人間の生活の営み」が原因で、
次々と壊されてゆくのは、とても悲しいことです。
一、地球上に存在する、人間を含めた全てのものと、
広い宇宙に存在する、地球を含めた全ての万物は、
人間が創造したものではありません。又、ビックバンで生まれたものでもありません。
宇宙に存在する全ての万物は、宇宙仏である、ビルシャナ仏が創造されたものです。
創造されてから、過去、現在、未来に到るまで、八百萬(やおよろず)の神仏が守り賜うておられるのです。
地球上の花、木、土、水、空気、風、その他、地球上の自然を、良く観察をすれば、
これらはすべて「神仏の御心(みこころ)」そのものが「現われている」のです。
肉体の目で見ずに、「心眼」で見ることが必要です。
私達人間も、神仏のお力でこの地球上に、活かされているのです、ありがたいことなのです。
心から、神仏を敬い、信仰して、神仏に感謝の誠を捧げましょう。
一、人は、生きてゆくのには、一生懸命になるが、活かされている大恩に気づかない
人が居ます。だから、患い、悩み、苦しみが起こって来て、教えられるのであります。
大恩→天と地の恩・社会の人々の恩・父母の恩。
一、 おれ我という、自分の我を取れば、とても楽になれます。
我があるので、人は苦労します。
一、目に見えない部分を大切に思う、感謝する。
神仏の恩、自分の小さい時の親の恩、衆生の恩。
一、 私達の毎日の行いは、全て頭の中に存在する魂にインプットされ、記憶されてゆきます。
神仏は、人間の魂に記憶されたもの全てがお見透し、全てが見える。
一、精神世界と物質世界
精神世界と物質世界とは表裏一体です。必ず存在します。物質世界の生きざまが、次の精神世界に影響しますから心して生きて下さい。
物質世界…この世、胎蔵界、私達の生きている世界
精神世界…あの世、金剛界、死んだ先で行く世界、霊界
一、人生は、一段式のロケットではダメで、多段式のロケットでないと、向上しない。
一、自分が原因で、苦悩を作り出します。
自分が原因で、不幸になります。
一、「孤独は寂しい」
自分が家族から、必要な人間だと思われている。
自分が、社会に役に立っている人間である。
こんな人の人生は、輝いて、楽しく生きがいがあるものだ。
家族から忘れ去られている。
社会から忘れ去られている。
孤独な人は、何とも言うに言われぬ寂しさがある。
孤独で居ずに、勇気を出して外へ出よう、人と交わろう、人の役に立とう、
社会の役に立とう、奉仕の心は尊い、どんな小さな事でも良いから
自分に出来る事をして、人からありがとうと感謝される自分になろう。
一、お金や物、地位、権力、名誉、その他万物全てに執着してはいけない。
執着するから、自分自身が悩み苦しむのだ。これらは全て、一時的な借り物に
すぎない。先では、うつろい変化して、無くなるものだ。お金は自分が持っているだけでは、お金の使命は死んでいます。
他人の為に使い、他人を喜ばす為に使えば、お金は生き返ります。そして、自分自身に徳を積めます。執着心を捨てて、徳を積むと、人は心が豊かになり、心身共に健康で幸せになれるのです。
人間は裸で生まれ出で、死ぬ時には、その肉体をもこの世に置いてゆく。
一、今日1日、健康で、長生きさせてもらえるのは、とても幸せな事なのです。
今日1日、自分の役目が果たせます。
今日1日、自分の責任が果たせます。
今日1日、自分自身を磨けます。
今日1日、自分を一層向上させられます。
ありがたい事です。
今日1日、感謝感謝で過ごしましょう。
一、「人の話に、聞く耳を持って、自分を改められる人は、着実に向上します」
人の話を良く聞いて、物事への執着心を無くし、自己流の考え、自己流の行いを、改めて、変えられる人は、
幸せになれます、向上します、救われます。
一、「先立つ人は、みな、わが師なり」
自分を生み育ててくれた両親。
自分を励まし、指導してくれた先輩、上司。
大恩に手を合わし、心から感謝をしよう。
一、「縁があって、自分に接する人は、みな、わが師なり」
自分が接する相手の、良いところは、見習って、教師としよう。
自分が接する相手の、悪いところは、見習わず、反面教師としよう。
一、人間、子は産むも、魂は産まぬ。
人間の魂のみ親は、神様なり。
いただいた魂を、自ら汚すのは人間なり、
清く磨くのも人間なり。
一、「老いた人の心がまえ」
朝、目が覚めたら、生きていられることに感謝をする。
今日が、自分の人生の最後の日であると、覚悟を決めて、
行動する人は、死がやって来ても、悔いが無く、動ずる事もない。
一、老いたら「老いを楽しみましょう」
老いたら、若い時と比較をして、あかんわ、あかんわと思わないこと。
仕事を、定年まで元気に務めて、社会へ貢献した。
子育てをして、我が子を、社会の一員として送り出した。
親のお世話をして、親を送った。
孫が生まれたら、息子や娘の手助けをした。
これまで、いろいろと自分の務め(責任と役割)を立派に果してやっと迎えた老いの時なのです。
一日一日を大切にして、感謝感謝の心で、前向きに、明るく楽しく、老いを精一杯楽しみましょう。
そして、何か、小さな事で良いから、社会へ奉仕する心があれば、尚一層尊いですね。
一、両親に、いっぱい苦労をかけて、立派な大人に育ててもらっても、2通りの人々に分かれます。
①仕事と自分だけを楽しんでいる独身主義の人。
②結婚をして、自分の家庭を持つ。夫婦が力を合わせ、苦労をして、
わが子を立派な大人に育て上げる。そして社会の一員として社会へ送り出す。
子育てして先祖、親、自分とつないで来た自分の家系を、将来へつなぐ人。
一、自分が仕事で、一生懸命に稼いだお金を、自分と家族の為に使って、
人がうらやむ生活をしたとしても、又、社会的に有名になったとしても、
人はその人を、あまり褒めません。
自分が苦労をして手にしたお金といえども、自分と家族の為にだけに使わずに、
困っている人々、恵まれない人々に、寄付をする人は、人は、その人を立派な人、
人格のある人だと褒めるのです。
世間の人々は、その人に、奉仕の精神が有るか無いかで、その人の値打と人格を決めるのです。
一、自分の家庭を、平和で極楽にするか、争いで地獄にするかは、家族全員の心がけと、
人間関係で決まります。
世界を、平和で極楽にするか、争いで地獄にするかは、世界の人々の心がけと、
人間関係で決まります。
地獄と極楽は、死後にも、現世にも存在します。
一、今日の1日が、健康で、無事に暮らせて、自分の務め(責任と役割)を、
立派に果たせることは、とても幸せなことです。
先で、家族や社会の人々に、お世話になって、生きる時には、ありがとう、
ありがとうの感謝の言葉を伝えることが大切です。
一、 誰しも「死んでしまいたい」と死を思いつめる危険な瞬間があります。
「死ぬなよ、待てば咲くぞ」吉川英治作 黒田如水(じょすい)より
如水(じょすい)は、1年の地下牢幽閉に耐え、信長に節を守りました。
ある日、牢の高窓に若芽をつけた藤づるを見つけます。
「いつでも死ねる、もう少し待て、あの藤づるも短い花の房すら持って咲こうとしている。…陽当たりの悪いせいか花の咲くのは遅かった。(がついに咲くのです)」
「やあ、今朝は咲いた。死ぬなよ、待てば咲くぞという天の啓示だ。彼は掌を合わせて藤の花を拝んだ…」
一、日頃の心がけが、悪い人には、不幸がやって来ます。
日頃の心がけが、良い人には、幸福がやって来ます。
これ原因結果の天地自然の法則です。
一、神社、仏閣に、何十年とお参りをすれど、ただ神仏にご加護をお願いするだけでは、
信心の第1歩にすぎません。
神仏の御教えを学んで、実行して、ひたすら己れを反省して改めて、
神仏の御教えに添った生き方をすることが、本当の信心の目的です。
一、人は皆、オギャーと一声発して、この世に生まれ出ると、
親の手厚いお世話と愛情のもとで育てられます。又、大勢の
社会の人々にも支えられて成長します。
先で老いた時も、今度は、わが子に世話になり、病院や老人施設の
大勢の社会の人々にも支えられて生きて、先で死んで行くのです。
人は、生まれるも、死するも、家族や大勢の社会の人々に支えられて生きていられるのです。
だから、自分が元気で、家族の間に合う、社会に間に合う間は、精一杯努力して
家族や社会に尽くしましょう、家族や社会のお役に立ちましょう。
一、お釈迦様(仏陀)が説かれた教え(仏教)は、迷える衆生を救う為にあります。
ただ、お経を唱えているだけではなくて、お経の中で説かれていることを、よく理解して、
実行することにより、人は救われるのです。無の心で、執われを無くし、広い心で、
欲望を良くコントロールして、毎日、自分を反省して改めて、自分自身を向上させましょう
人生は、いろいろな欲望を追求する為にあるのではありません。
人生は、自分が修行して、自分を磨いて、浄化して、自分を向上させる為にあります、
人生より、いろいろ学んで悟りましょう。
一、「この世の苦労は」
1、人間関係。
2、お金。
3、肉体の患い。
4、人格を高めること。
「あの世の苦労は」
1、霊同志の関係。
2、霊格を高めること。
3、霊光の輝きを増すこと。
一、人は、空の雲が、悠々と流れるように、
川の水が、さらさらと流れるように、
執われを無くそう、
こだわりを無くそう、
無心に生きよう、
先の事は、神仏にまかせよう。
一、人は、毎日が、自分を磨く場なんですね。
毎日、自分に起こって来る、さまざまな出来事が、
自分を磨く材料になるんですね、困難に負けずに、
力強く乗り越えて下さいね。毎日毎日、自分を磨いて、
人格を向上させて下さいね。
一、悪い事は、してはいけませんよ。悪い事をすると、
悪い結果が、生前にも現われて来るし、
又、死後にも現われて来ますよ。
この世でも、あの世でも、2つの世で苦しむことに
なりますよ。これは原因結果の法則です。
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一、「川の流れ」と「人の流れ」
川の石は、川の流れに流されて、角が取れて丸くなります。
人は、社会の人の流れに流されて、己がという我が取れて丸くなります。
人の流れに流されても丸くなれない人は、我が強すぎるのと、修養が足らない為です。
一、自分の生涯で接する、あらゆる縁が自分を育ててくれるのです。
一、 人間は輪廻をくり返してこの世で修行しています。人間は過去世、現世、未来世の3世を、生き死にをくり返してぐるぐる回っています。人生は自分を磨く為にあり、人格を向上させる為にあります。
一、「命は有限」
「魂は無限」
命は有限…生命ある間に、自分はどう生きたか、人生よりいろいろと学んで悟り、どれだけ自分を磨いたか、人格を高めたか、自分の家庭や人間社会にどれだけ役に立ったか、これらが原因となり、結果として死後に行く先が決まる。お金や物、地位、権力、これらは一切持って行けない。持って行けるのは、生前、身につけた徳であり人格である。
魂は無限…死んで肉体は滅んでも、魂は肉体から離れて霊界で無限に生きる。
一、徳を積む。
善行を積み重ねる事により身につくものを徳という。
自分の目の前の責任と役割を立派に果たす。
奉仕の精神で善行を積む。社会の一隅を照らす。
結果として自分の人生が徳の分量だけ良くなります。
結果として自分の器が徳の分量だけ大きくなります。
一、貯金と天貯
天貯とは、天への貯金です。
天への貯金とは、善行を積み重ねることにより、徳を積むことです。
奉仕の精神は尊いです。お金や物が全てであるという物欲の考え方を改めましょう。
一、 子供は、恵まれた環境の中で育つより、
逆境の中で育つ方のが、ものになる、大成する。
一、宇宙仏(ビルシャナ仏)が創造されました、この広大な
宇宙の中の、1つの星であります地球の絶妙な
「大自然のバランス」が、「人間の生活の営み」が原因で、
次々と壊されてゆくのは、とても悲しいことです。
一、地球上に存在する、人間を含めた全てのものと、
広い宇宙に存在する、地球を含めた全ての万物は、
人間が創造したものではありません。又、ビックバンで生まれたものでもありません。
宇宙に存在する全ての万物は、宇宙仏である、ビルシャナ仏が創造されたものです。
創造されてから、過去、現在、未来に到るまで、八百萬(やおよろず)の神仏が守り賜うておられるのです。
地球上の花、木、土、水、空気、風、その他、地球上の自然を、良く観察をすれば、
これらはすべて「神仏の御心(みこころ)」そのものが「現われている」のです。
肉体の目で見ずに、「心眼」で見ることが必要です。
私達人間も、神仏のお力でこの地球上に、活かされているのです、ありがたいことなのです。
心から、神仏を敬い、信仰して、神仏に感謝の誠を捧げましょう。
一、人は、生きてゆくのには、一生懸命になるが、活かされている大恩に気づかない
人が居ます。だから、患い、悩み、苦しみが起こって来て、教えられるのであります。
大恩→天と地の恩・社会の人々の恩・父母の恩。
一、 おれ我という、自分の我を取れば、とても楽になれます。
我があるので、人は苦労します。
一、目に見えない部分を大切に思う、感謝する。
神仏の恩、自分の小さい時の親の恩、衆生の恩。
一、 私達の毎日の行いは、全て頭の中に存在する魂にインプットされ、記憶されてゆきます。
神仏は、人間の魂に記憶されたもの全てがお見透し、全てが見える。
一、精神世界と物質世界
精神世界と物質世界とは表裏一体です。必ず存在します。物質世界の生きざまが、次の精神世界に影響しますから心して生きて下さい。
物質世界…この世、胎蔵界、私達の生きている世界
精神世界…あの世、金剛界、死んだ先で行く世界、霊界
一、人生は、一段式のロケットではダメで、多段式のロケットでないと、向上しない。
一、自分が原因で、苦悩を作り出します。
自分が原因で、不幸になります。
一、「孤独は寂しい」
自分が家族から、必要な人間だと思われている。
自分が、社会に役に立っている人間である。
こんな人の人生は、輝いて、楽しく生きがいがあるものだ。
家族から忘れ去られている。
社会から忘れ去られている。
孤独な人は、何とも言うに言われぬ寂しさがある。
孤独で居ずに、勇気を出して外へ出よう、人と交わろう、人の役に立とう、
社会の役に立とう、奉仕の心は尊い、どんな小さな事でも良いから
自分に出来る事をして、人からありがとうと感謝される自分になろう。
一、お金や物、地位、権力、名誉、その他万物全てに執着してはいけない。
執着するから、自分自身が悩み苦しむのだ。これらは全て、一時的な借り物に
すぎない。先では、うつろい変化して、無くなるものだ。お金は自分が持っているだけでは、お金の使命は死んでいます。
他人の為に使い、他人を喜ばす為に使えば、お金は生き返ります。そして、自分自身に徳を積めます。執着心を捨てて、徳を積むと、人は心が豊かになり、心身共に健康で幸せになれるのです。
人間は裸で生まれ出で、死ぬ時には、その肉体をもこの世に置いてゆく。
一、今日1日、健康で、長生きさせてもらえるのは、とても幸せな事なのです。
今日1日、自分の役目が果たせます。
今日1日、自分の責任が果たせます。
今日1日、自分自身を磨けます。
今日1日、自分を一層向上させられます。
ありがたい事です。
今日1日、感謝感謝で過ごしましょう。
一、「人の話に、聞く耳を持って、自分を改められる人は、着実に向上します」
人の話を良く聞いて、物事への執着心を無くし、自己流の考え、自己流の行いを、改めて、変えられる人は、
幸せになれます、向上します、救われます。
一、「先立つ人は、みな、わが師なり」
自分を生み育ててくれた両親。
自分を励まし、指導してくれた先輩、上司。
大恩に手を合わし、心から感謝をしよう。
一、「縁があって、自分に接する人は、みな、わが師なり」
自分が接する相手の、良いところは、見習って、教師としよう。
自分が接する相手の、悪いところは、見習わず、反面教師としよう。
一、人間、子は産むも、魂は産まぬ。
人間の魂のみ親は、神様なり。
いただいた魂を、自ら汚すのは人間なり、
清く磨くのも人間なり。
一、「老いた人の心がまえ」
朝、目が覚めたら、生きていられることに感謝をする。
今日が、自分の人生の最後の日であると、覚悟を決めて、
行動する人は、死がやって来ても、悔いが無く、動ずる事もない。
一、老いたら「老いを楽しみましょう」
老いたら、若い時と比較をして、あかんわ、あかんわと思わないこと。
仕事を、定年まで元気に務めて、社会へ貢献した。
子育てをして、我が子を、社会の一員として送り出した。
親のお世話をして、親を送った。
孫が生まれたら、息子や娘の手助けをした。
これまで、いろいろと自分の務め(責任と役割)を立派に果してやっと迎えた老いの時なのです。
一日一日を大切にして、感謝感謝の心で、前向きに、明るく楽しく、老いを精一杯楽しみましょう。
そして、何か、小さな事で良いから、社会へ奉仕する心があれば、尚一層尊いですね。
一、両親に、いっぱい苦労をかけて、立派な大人に育ててもらっても、2通りの人々に分かれます。
①仕事と自分だけを楽しんでいる独身主義の人。
②結婚をして、自分の家庭を持つ。夫婦が力を合わせ、苦労をして、
わが子を立派な大人に育て上げる。そして社会の一員として社会へ送り出す。
子育てして先祖、親、自分とつないで来た自分の家系を、将来へつなぐ人。
一、自分が仕事で、一生懸命に稼いだお金を、自分と家族の為に使って、
人がうらやむ生活をしたとしても、又、社会的に有名になったとしても、
人はその人を、あまり褒めません。
自分が苦労をして手にしたお金といえども、自分と家族の為にだけに使わずに、
困っている人々、恵まれない人々に、寄付をする人は、人は、その人を立派な人、
人格のある人だと褒めるのです。
世間の人々は、その人に、奉仕の精神が有るか無いかで、その人の値打と人格を決めるのです。
一、自分の家庭を、平和で極楽にするか、争いで地獄にするかは、家族全員の心がけと、
人間関係で決まります。
世界を、平和で極楽にするか、争いで地獄にするかは、世界の人々の心がけと、
人間関係で決まります。
地獄と極楽は、死後にも、現世にも存在します。
一、今日の1日が、健康で、無事に暮らせて、自分の務め(責任と役割)を、
立派に果たせることは、とても幸せなことです。
先で、家族や社会の人々に、お世話になって、生きる時には、ありがとう、
ありがとうの感謝の言葉を伝えることが大切です。
一、 誰しも「死んでしまいたい」と死を思いつめる危険な瞬間があります。
「死ぬなよ、待てば咲くぞ」吉川英治作 黒田如水(じょすい)より
如水(じょすい)は、1年の地下牢幽閉に耐え、信長に節を守りました。
ある日、牢の高窓に若芽をつけた藤づるを見つけます。
「いつでも死ねる、もう少し待て、あの藤づるも短い花の房すら持って咲こうとしている。…陽当たりの悪いせいか花の咲くのは遅かった。(がついに咲くのです)」
「やあ、今朝は咲いた。死ぬなよ、待てば咲くぞという天の啓示だ。彼は掌を合わせて藤の花を拝んだ…」
一、日頃の心がけが、悪い人には、不幸がやって来ます。
日頃の心がけが、良い人には、幸福がやって来ます。
これ原因結果の天地自然の法則です。
一、神社、仏閣に、何十年とお参りをすれど、ただ神仏にご加護をお願いするだけでは、
信心の第1歩にすぎません。
神仏の御教えを学んで、実行して、ひたすら己れを反省して改めて、
神仏の御教えに添った生き方をすることが、本当の信心の目的です。
一、人は皆、オギャーと一声発して、この世に生まれ出ると、
親の手厚いお世話と愛情のもとで育てられます。又、大勢の
社会の人々にも支えられて成長します。
先で老いた時も、今度は、わが子に世話になり、病院や老人施設の
大勢の社会の人々にも支えられて生きて、先で死んで行くのです。
人は、生まれるも、死するも、家族や大勢の社会の人々に支えられて生きていられるのです。
だから、自分が元気で、家族の間に合う、社会に間に合う間は、精一杯努力して
家族や社会に尽くしましょう、家族や社会のお役に立ちましょう。
一、お釈迦様(仏陀)が説かれた教え(仏教)は、迷える衆生を救う為にあります。
ただ、お経を唱えているだけではなくて、お経の中で説かれていることを、よく理解して、
実行することにより、人は救われるのです。無の心で、執われを無くし、広い心で、
欲望を良くコントロールして、毎日、自分を反省して改めて、自分自身を向上させましょう
人生は、いろいろな欲望を追求する為にあるのではありません。
人生は、自分が修行して、自分を磨いて、浄化して、自分を向上させる為にあります、
人生より、いろいろ学んで悟りましょう。
一、「この世の苦労は」
1、人間関係。
2、お金。
3、肉体の患い。
4、人格を高めること。
「あの世の苦労は」
1、霊同志の関係。
2、霊格を高めること。
3、霊光の輝きを増すこと。
一、人は、空の雲が、悠々と流れるように、
川の水が、さらさらと流れるように、
執われを無くそう、
こだわりを無くそう、
無心に生きよう、
先の事は、神仏にまかせよう。
一、人は、毎日が、自分を磨く場なんですね。
毎日、自分に起こって来る、さまざまな出来事が、
自分を磨く材料になるんですね、困難に負けずに、
力強く乗り越えて下さいね。毎日毎日、自分を磨いて、
人格を向上させて下さいね。
一、悪い事は、してはいけませんよ。悪い事をすると、
悪い結果が、生前にも現われて来るし、
又、死後にも現われて来ますよ。
この世でも、あの世でも、2つの世で苦しむことに
なりますよ。これは原因結果の法則です。
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